Claude Lakey クラウドレイキー 4*3 アルトサックス ハードラバー オリジナル マウスピース 4スター3 alto saxophone Mouthpieces 北海道 沖縄 離島不可
アルトサックスマウスピース ホースシュースロート ストレート
店頭では販売しておりません。
アメリカ製のジャズ系マウスピース。マウスピースパッチが元々セッティングされており、またパッチの貼る部分にはパッチの厚さに合わせて型抜きされています。ですので、専用のパッチを貼るか、もしくはお好みのパッチをその形に切って貼るかになるのですが、パッチの分の厚みを比較的感じにくいというメリットがあります。別売りで4枚のパッチが販売されていますが、付属は元々貼られているものとは別に4枚のパッチが同梱されています。マウスピースポーチ(巾着)も付属。
Claude Lakey alto saxophone mouthpieces クラウドレイキー アルトサクソフォン用 ハードラバー オリジナルシリーズマウスピース
オリジナルシリーズ ハードラバー
モデル名 / TIP OPENING ティップオープニング mm(インチ)
4∗3 1.91mm (75インチ)
クラウド・レイキーを代表する一番人気のマウスピースです。明快な音とムラのない響きが得られます。目立つ存在であったりアンサンブルで調和する能力を持ち、万能性が際立っています。ジャズ向きですが、ロック・ファンク・電子音楽でも十分な力を発揮します。様々な場面で演奏でき、ソロでもアンサンブルでも聴きばえするので、自由に演奏できることで新たな音にたどり着くことでしょう。
※装着できないなどの返品/交換は一切できません。
▼ハードラバーシリーズ
モデル名 / TIP OPENING ティップオープニング mm(インチ)
4∗3 1.91mm (75インチ)
4∗4 1.91mm (75インチ)...4∗3よりもやや大きめのチェンバーをもち太いサウンドが得られるミディアムチェンバーモデル 。
5∗3 2.03mm (80インチ)
5 3 2.03mm (80インチ)...5∗3のショートフェイシングモデル。
6∗3 2.16mm (85インチ)
7∗3 2.29mm (90インチ)
8∗3 2.41mm (95インチ)
9∗3 2.54mm (100インチ)
ホースシュースロート(馬蹄型スロート)、ストレートバッフル
▼その他
APOLLO
アポロシリーズは音の華やかさと温かみにおいて頂点を極めています。伝統のレイキーらしい明るい音色に温かみのあるサブトーンをプラス、どの音域においても優れた音の広がりを実現しました。息が入りやすく更に自由度やコントロール性が得られます。ドイツから特注したエボナイト材を使用し、その華やかさと温かみのある音は別格です。大きく音を飛ばすことができるのでどんなジャンルにも適応します。
6∗ 1.98mm
7∗ 2.08mm
8∗ 2.21mm
APOLLOブラス
オリジナルシリーズのレイキーがそうであるようにジャズ用に最適ですが、ロック・ファンク・ハウスミュージックでも十分に魅力を発揮します。ソロや大編成に適しており、必要に応じて浮き出ることも溶け込むことも可能です。音の広がりを持った明るくふくよかなサウンドで、どの音域でも息が入りやすく吹きやすいです。
6∗ 1.91mm
7∗ 2.03mm
8∗ 2.16mm
APOLLO ブラス-ロジウム仕上げ
太い芯のあるパワフルなサウンド、また、音の粒、輪郭がくっきりしており、クリアなサウンド。レスポンスも早く、コントロール性に優れており、ブラス仕上げに比べ、明るい音色を持っています。
6∗ 1.91mm
7∗ 2.03mm
8∗ 2.16mm
1920's
アメリカでは、禁酒令の始まりと共にジャズ時代。禁酒令時代のもぐり酒場は、多くの年配者からは不道徳な場所とレッテルを貼られましたが、人々がお酒を楽しんだり音楽に合わせてダンスを踊って夜を過ごす絶好の場所となりました。メディアのネガテイブキャンペーンも空しく、ジャズ人気はますます高まり多くの象徴的なミュージシャンを創出しました。ルイ・アームストロング、ベッシー・スミス、キッド・オリー、デューク・エリントン、その他数名。
1930's
1920年代後半のジャズ革命が、1930年代のビッグバンドの発展に大きな影響を及ぼしていた頃、クラウドはプロミュージシャンとしての一歩を踏み出しました。1933年、23歳の時クラウド・レイキーはジョーリベットバンドでプロとして初めて演奏する機会を得ました。クラウドはサクソフォン、トランペット、クラリネットおよびヴァイオリンを演奏する類まれな才能をもったミュージシャンでした。ジョーリベットバンドで活躍した後は、オリンタッカーバンドおよびベンヤングバンドでミュージシャンとしての仕事を続けました。彼がテックス・ベネックに会ったのはこのバンドでした。1936年、2人はグレンミラーバンドに入ります。当時、「キング・オブ・スウィング」と言われたベニー・グッドマンと共演していたトランペッターのハリー・ジェイムズに出会ったのもこの頃です。1938年、ハリー・ジェイムズは自身のバンドを作りクラウドを誘い入れました。
1940's
1940年代はジャズ界が大きく変革した時期です。セロニアス・モンク、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーといった主だったミュージシャンを輩出した一方、Be Bop、クールジャズ、Dixieland Revivalといった新しいスタイルのジャズを形作っていきました。これも1940年代でしたが、クラウドは彼の音楽人生における大きな変更を経験しました。1943年にハリージェイムスバンドを離れ、軍に入隊し様々な軍楽隊で演奏します。第二次世界大戦が終わると、彼はハリージェイムズバンドに戻り最後のツアーに参加しました。1947年、クラウドは自分の音楽に磨きをかけようと決意し、ノース・テキサス州立大学に籍を置き、そこでユージン・ホール博士に出会います。ホール博士は有名な「One 'O' Clock Lab Band」 を立ち上げた人物として名が知られていますが、クラウドは1949年に初代指揮者となりました。
1950's
ジャズの進化は目覚ましく、ハード・バップやフリー・ジャズを生み出し、R&Bの基礎を築きました。ジャズの聴き方は、長時間プレーできる12インチのレコードの出現と共により軽い方向へ向かいました。ステレオ録音が普及し、バラエティショーでジャズの楽曲が流れ、ミュージシャンの姿が映し出されるとテレビで主要な地位を占めるようになりました。音楽業界が変わったことを認識すると、クラウドと妻は1950年代初頭にサンフェルナンド・バレーに移り住み、CD音楽制作会社を設立。1955年、クラウドはSan Fernando Valley Youth Bandsを設立し指導者として、数十年に渡って多くの偉大なミュージシャンの才能を伸ばすことに貢献し、彼の弟子であるニック・ゴードンに紹介しました。1955年はクラウドがオリジナルのClaude Lakey Mouthpieceのコンセプト作りを始めた年でもありました。
1960's
クラウドは、現時点であらゆるジャズのサウンドをもってしても、ミュージシャンの異なる欲求を満足させられる質の高いマウスピースは存在しないことを思い知りました。ミュージシャンであった彼はマウスピースから何を得たいかが解っていたので、様々なメーカーから仕上げる前のマウスピースを買い込み、多様なフェィシングやサイズの違うチェンバーをテストしました。自分が基準としたものに出会うとマウスピースに自分の名前を刻みました。彼はまだ満足できず、自前の金型を作ろうと決意。困難に立ち向かう金型メーカーを探し続ける中で、彼は後にインタビューで語っているように、自分が理想とするショップに出会い現在も取引しているのです。
1970's
クラウドは、機械による製造過程と高品質なマウスピースを作るのに必要な手作業仕上げで自分の技量に磨きをかけることに時間を費やしました。彼は優れた製品を作ってきたという自覚があったので、事業をマウスピースに集中しようと決意し自分のミュージックストアをニックに売却しました。ニックは若手バンドの練習場所を転用し、練習スペースにしたので多くのビッグバンドが使えるようになりました。クラウドは楽器店の一角に最初のマウスピースショップを構えたので、プロのサックス吹きが来店したときは彼のマウスピースを試し吹きしてもらうことができました。クラウドはこれで成功を収め、クラウドの名は瞬く間に音楽業界に広がって行ったのです。
1980's
クラウドはマウスピースで成功したため、ミュージック・ストアの仕事を辞めてマウスピース工房の拡張に取り掛からなければなりませんでした。彼は自分の店を通してサックスプレーヤーに販売を続ける一方、全国の楽器店にマウスピースを卸すディストリビューターを2~3軒持つことができました。クラウドは最終的には故郷であるテキサス州ナコドチェスに事業を移転しました。ニックも同時期に事業を転換することになりました。ニックはCD音楽制作会社をたたみ"The Captain & Tennille" と提携し、カリフォルニアのCanoga Park にあるRumbo Recorders 社を設立。トム・ペティ、スティーブ・ニックス、ボブ・シーガー、サバイバー、REOスピードワゴン、ビーチ・ボーイズ、Guns & Rosesなどはほんの一例ですが、Rumbo社でレコーディングしたミュージシャン。
1990's
クラウドは引退を決意しました。自身のマウスピース事業を知人の中で彼が積み上げてきた基準を守り、彼の遺産を引き継ぐことができる人に引き継ごうと考えるようになりました。クラウドはニックを呼んでこの件で興味があるかきいたところ、ニックは会社の買い取りに合意しテキサスに飛びました。手仕上げのマウスピース"Claude Lakey"の製造過程を学ぶためです。会社の売却をすすめている途中でしたが、クラウドは癌であることが判明しその1か月後に80歳で亡くなりました。ニックは会社の売却を完了し、事業をワシントン州シアトルに移しました。
2000's
ニックは同じ設計指示書、加工道具、技術を使い続け、クラウドが共に築いた会社に敬意を払いました。自身もミュージシャンであったニックは、学生やプロ・ミュージシャンが使うマウスピースに求められる同じ品質と優れた性能を維持することの重要性を理解していました。クラウドの遺産を維持するのに捧げられたニックの献身と気遣いのお陰で、クラウド・レイキー製のマウスピースは現在、音楽業界で最も認められたメーカーのひとつになっています。クラウド・レイキーは世界20か国以上に輸出されています。
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